ゲーマーが「不都合な現実をリセットで帳消しできる」と思うわけがない

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雑記
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ゲーム反対派の人から昔よく聞いた意見として、

「不都合なことはリセットして『なかったこと』にできる」と思うようになるんじゃないか?

というものがあります。果たして本当にそうなのでしょうか。1ゲーマーとしての率直な意見は

白崎
白崎

なるわけないじゃん……

です。なぜなら、リセットしたところでプレイヤーの記憶が消えるわけではないからです。

「リセット」は確かに便利な機能です。不都合なミスをしてしまったとき、一部のゲームではリセットして元に戻すことができます。

ですが、リセットしてやり直したとして、プレイヤーの記憶の世界ではリセットの回数がカウントされています。同じことを何度も繰り返して何度も失敗し続けるのは苦痛そのものです。

10回リセットしてやっと成功した。

白崎
白崎

リセットせずに進めたほうがよっぽど楽だったんじゃ……?

リセット対策も進んでいる

ゲームによってはリセット対策が充実しています。なので「リセット」はすべてのゲームでできるわけではありません。

また近年定番化している「オンラインで大勢一緒に遊べるゲーム」は、他のプレイヤーへの影響が大きすぎるため、リセットできないのが常識です。運営側の都合でリセットされてしまった場合は、不満が噴出します。

「リセット」と「初見クリア」

ゲームの世界には「初見クリア」にものすごくこだわる人がいます。そういう人たちにとっての「初見」とは、大抵の場合「プレイヤーにとっての初めて」を示します。

なので、仮にクリアできなくてリセットした場合、プレイヤーとしては2回目になるので、初見クリアは二度と達成できません。「本当の意味での初めて」にだけ価値があるのです。

「ゲーム内での初めて」に価値を感じる人の場合は、リセットをアリとしている場合があります。

「初見」になぜこだわるのか

「初見」にこだわる人がいるのは、「どんな内容かわからないものに挑んで成功したい」というチャレンジ精神からです。そのゲームに自信があればあるほど、事前に情報を何も知らない状態の初見クリアに挑戦する傾向があるように思います。

どんな内容なのか知ってしまえば対策が立てられますので、万全の対策を講じて再チャレンジすることも可能なのですが、それでは楽しくないとして挑戦し続ける人もいるのです。

リセットで人の死をなかったことにできると思うようになる?

「リセット」でゲームキャラクターの死は無かったことにできます。なのでゲーム反対派の中では一昔前に「ゲームをやると人の死を軽んじるようになる」という意見が横行していました。(今でも言われているかどうかは私は知りません)

ですが、リセットしてそのキャラクターが死ななかったとしても、プレイヤーがそのキャラクターを一度死なせてしまったという事実も記憶も消えません。リセットした結果、そのキャラクターを死なせずに次の段階に進めたとしても、プレイヤーは一度そのキャラクターを死なせてしまったのです。その挙げ句、全てを無に返す「リセット」をしてまで死ななかったことにしたのです。

「リセット」では全てが保存前の状態に戻ります。キャラクターの死以外は有利な展開をしていたとしても(ものすごくレアなアイテムを入手していたとか)、リセットすれば無になります。

そうまでして「なかったこと」にしたかったキャラクターの死は、果たして軽いものでしょうか。

一度体験したことをもう一度、いや成功するまでやり直してまで生かそうとしたキャラクターの命。当然、その分だけ時間も労力もかかります。絶対に死なせないための数々の作戦も練られます。

命を軽んじているとどうして言えるのでしょう。完全にゲームをしない人の発想ですね。

なお物語の展開上、必ず死んでしまうキャラクターがいます。その場合、リセットしようが何しようがそのキャラクターは死にます。リセットするとむしろ死に目に何度もあうことになります。そんな場合は絶対リセットはしないでしょう。

ゲーマーは現実主義者が多い

ゲームをしない人にとっては意外かもしれないのですが、ゲーマーには現実主義者がかなり多いです。なぜなら仮想現実に没頭する時間があるために、現実世界をはっきり現実と認識する機会も多いからです。外国で暮らしたことがある人が、日本で暮らすと「ここは日本だなと実感する」などと言っているようなものです。

仮想現実がどんなに楽しくて魅力的でも、ゲームをやめたら現実に必ず帰ることになります。現実と仮想現実を頻繁に行き来するがために、現実は現実、仮想現実は仮想現実と明確に区別している人たちがゲーマーには多いのです。

そして仮想現実は仮想であって、実現はしないということをイヤというほど思い知っている人も多いです。ゲームの世界を現実と混同することなど、普通のゲーマーにはまずありえないでしょう。

Undoのことも考えてみよう

ゲームにおける「リセット」に類似した機能ですが、よほど便利で、多くの人々が活用している機能があります。Undo(アンドゥ)です。多くのソフトウェアで使うことができます。

リセットはデメリットもかなり大きいのですが、Undoにはメリットばかりがあり、デメリットはほとんどありません。リセットより遥かに便利で優秀な「直前の行動をなかったことにできる」機能です。パソコンやスマホでソフトウェアを使う人は、だいたいUndoも使っているのではないかと思います。ゲーマーより遥かに多い人口がUndo機能を使っているはずです。

でも「今怪我したのをUndoしたい」とは普通思わないでしょう? 思うかもしれませんが、実現できるとは思っていないですよね。

リセットも同じで、現実でリセットしたいと思うことが仮にあっても、「できるわけがない」がセットでついてきます。

まとめ:「リセットできる」と普通は思わない

私は「リセットできるからといって、物事を軽んじるようにはならないだろう」と考えていますが、その根拠は以上です。

成功するまでリセットし続けた人ならわかると思うのですが、リセットして何度もやり直すのはかなり苦痛を伴う作業なんですよね。私にとっては、やらずに済むならやりたくないぐらいしんどいです。

ゲームをしない人は「リセットはリセット操作をするだけ」と思っているのでしょうが、リセットはそこまでの努力を無に帰す作業でもあるのです。何度もリセットしても成功しなかった日には時間を無駄にしたという感覚に苛まれることになります。「リセット」は決して軽いものではありません。

ごく稀に現実で死んでしまった人を生き返らせようとして現実をリセットしようとした人がニュースになることがありますが、そういった例のほうが極端に珍しいケースであり、多くのゲーマーは現実主義です。

白崎
白崎

お金がないと、いいゲーム体験もできないしね。

雑記
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書いた人:
白崎矢宵(やよい)

発達障害、特に自閉スペクトラム症(アスペルガー症候群)と診断されています。性別不合(トランスジェンダー・FtM)でもあります。道具やサービスを使って自分の生活を改善しながら、気になった情報を雑多に発信しています。著書「アスペルガーだからこそ私は私」発売中です。

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