親しい人が亡くなると、人は必ず何かしら後悔する。

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二次障害(うつ病、不安障害)
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旧ブログからの復刻記事です。

祖母がガンとの闘病の末に亡くなりました。その際に私は「親しい人の死は、遺された人に後悔をもたらす」ということを実感しました。恩師や友人とも何度か死に別れたことがありますが、何年経っても忘れられないものです。今回はその話を書きたいと思います。

祖母の命日の前後

祖母の命日の前後について、若干詳しく書いてみます。

ある日、母と共に緩和病棟に見舞いに行ったところ、前日までさほど痛がる様子のなかった祖母が随分と苦しがって痛がっていました。祖母は自力でナースコールを押せなかったので、私と母が交代で付き添って、祖母が苦しがったらナースコールを押し、痛み止めを点滴に入れてもらっていました。

昼過ぎ頃に、祖母が少し落ち着いたからと、母が病室をしばらく離れていたとき、祖母がふと目を覚まして私に「○○しい」と何度も言いました。祖母の発声がはっきりしなかったので、何が言いたいのかよくわからず、思い付くことを手当たり次第に「お医者さん?」「看護師さんを呼ぶ?」などと聞いてみたのですが、祖母は首を横に振ります。なのでナースコールも押せず、祖母の言いたいことを当てることもそのときはできませんでした。

すぐに祖母はまた眠ってしまったのですが、数時間後に考えてみたら、どう考えてもあれは「苦しい」だったのです。なのにそのときは全然気付くことができず、自分の推察能力が低いことを恨めしく思いました。

その後も祖母は頻繁に苦しがり、結局母が病室に泊まることになりました。主治医によると「今すぐということはなさそうだが、余命は数日から一週間といったところだろう。今日は帰っても問題がない」とのことでしたが、祖母が自力ではナースコールを押せないので、看護師さんと母とが相談して、母は泊まりました。

このように付き添い続ける日々が長く続くと、私と母が二人一緒に付き添っていると共倒れになってしまうからということで、私はその頃寝泊まりしていた祖母宅に帰りました。

その日の深夜、日付が変わって午前2時半頃に母から私の携帯に電話があり、祖母が亡くなったと知らされました。祖母は全く苦しがる様子がなく、些細な物音でも気付いて起きてしまう母でも気付かずに眠っている間に、眠ったまま息を引き取ったようでした。

私は祖母の主治医の説明もあって「今晩くらいはもつだろう」と思っていたため、非常に強いショックを受けましたが、なんとか取り乱すことなくタクシーで病院に向かい、当直の医師による死亡確認に立ち会いました。

祖母が亡くなってから後悔したこと

その後、私は亡くなる前の日の昼過ぎに祖母が「○○しい」(苦しい)と苦しがったとき、すぐにナースコールを押せなかったことを悔やみました。

見舞いに行くと祖母は「毎日来たら疲れるから、来なくていい」とよく言っていて、見舞いに行くことでかえって心配をかけてしまうからと見舞いに行かなかった日もあったのですが、祖母の言い分を気にしないでもっと会いに行けばよかったかと思いました。

葬儀が済んでも病院に見舞いに行かなければならない気がしたりして、精神的な不調が悪化してきたため、物理的に祖母が入院していた病院に行けない状態になれば落ち着くかと思い、初七日が済んだのをきっかけにして、遠方の祖母宅に母を置き去りにして先に自宅に帰って来ました。

が、相変わらずまだ祖母のことで後悔が浮かんできたり、まだ祖母が生きているような気がしたりしてきてしまいます。

自殺願望があったころに考えていたこと

私は自殺願望や希死念慮に苛まれていた頃、「人間には自分の好きなときに死ぬ権利がある」と思っていました。

その考え自体は今でも変わらないです。が、その頃の私は、親などから「人が死ぬというのは大変なことだ」「自殺されたら遺族は苦しむ」などと聞かされても全く実感がありませんでした。私が親しい親族を亡くしたのは、今回の祖母の件が初めてです。

今回、祖母を亡くして、やっと「親しい人を亡くした遺族」の感覚が実感できました。これは私の人生にとって大きな収穫であったと思います(悲しいですが)。

祖母は病気による衰弱死でしたが、それでも後悔することがたくさんあります。なので、親しい人が自殺してしまったら、自殺に追い込まれるほどの悩みをどうにかしてやれなかったのかと、遺族がさぞ悩み苦しむのだろうということも想像がつくようになりました。

「人の命は親の勝手な都合で生み出されるものである」という考えは私に相変わらずあるものですが、せっかく生まれてきたのだから楽しく生きたいような気が「今は」します。昔はしませんでした。生まれたくなかったのに勝手に産まれて苦しめられている、と思っていた時期もありました。今思うと、置かれた環境などよりも、そういう考え方しかできないこと自体が不幸なことだったと思います。

友人知人を亡くした経験を思う

私には数人亡くなってしまった友人がいます。彼らを思っても、やはり複雑な気持ちになります。

花月龍生さんの音楽がもっと広まってほしかった

花月龍生さんとは同じゲームのプレイヤーだったことから知り合いました。一緒に遊んでいて一段落したある日、妹さんから逝去したとメッセージが送られてきました。もう10年近くも前のことです。持病のあった方なので、避けられない出来事だったのかもしれませんが、ショックは大きかったです。

その後、彼のバンド「サンダーソニア」が出していたCD「Prototype」を購入しましたが、楽曲の素晴らしさにいつ聴いても感動するのです。彼らの音楽がもっと広まってほしかったと思い、どうにかできないものかと考えているところです。

もう亡くなってしまった人なのですが、彼の音楽は今も生き続けていると感じます。彼の音楽を使いプロフィールを動画にしてくださっている方がいるので、埋め込んでおきます。

同じ当事者の会に通う仲間が亡くなってしまった

2019年晩夏、同じひきこもり経験者の集いに参加していた人が亡くなってしまいました。死因は不明なのですが、他の仲間たちと「せめて自殺でなければいいんだけど」と話していました。

ですが自殺でなければいいのにと思うのは生き延びた人間たちのエゴではないかと感じます。多少なりとも関わりのあった人が自殺してしまったのだとしたら、自分たちの無力さに耐えられないから、「自殺でなければいいな」と願うのではないか……。そう思ってしまうのです。

自殺するほどの苦しみを抱えていなかったならよかった、とも思います。ですがそうだとしたら、なぜ亡くなってしまったのか……。詳しい話が不明なぶん、かえってもやもやしてしまうのです。

人が亡くなるということの影響は本当に大きなものだと感じます。

親しい人が亡くなってしまうのはやりきれない

親しい人が亡くなってしまうことは、「悲しい」という一言では表せないような複雑な思いをもたらすものです。自殺を考えている方で、もし親しい人を亡くした経験がある方は、その人が亡くなったときに自分が思ったことをよく考えてみてほしいです。

もしそのときに「羨ましい、自分も早く死にたい」というような考えしか浮かばなかったなら、仕方がないですが……その人の死を悔やんだり悲しんだりする気持ちがもしあったなら、自分も他の人たちに同じような気持ちを抱かせるということを想像してみてほしいです。

自殺を考える人は「自分には生きている価値なんかないから、自分の死を悲しむ人はいない」という考えを持ちがちですが、人の命の価値を決めるのは自分ではなく他人です。自分に価値を見出せないのは自然なことです。自分にとっての自分は最も普通で当たり前のものなのですから……。そんな自分も他の誰かから見たら特別な人だったりすることがしばしばあるものです。

「自分の価値」については以前もnoteに書きました。よければこちらもご覧ください。

二次障害(うつ病、不安障害)
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書いた人:
白崎矢宵(やよい)

発達障害、特に自閉スペクトラム症(アスペルガー症候群)と診断されています。性別不合(トランスジェンダー・FtM)でもあります。道具やサービスを使って自分の生活を改善しながら、気になった情報を雑多に発信しています。著書「アスペルガーだからこそ私は私」発売中です。

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