連日うじうじと悩み事ばかり書いていたら、だんだん悩んでいることが馬鹿らしくなってきました。悩みすぎて吹っ切れたのかもしれません。ですがせっかくなので、悩んだ内容は残しておきます。
数日前、「胸オペなどの手術が怖くてしょうがない」と書きました。しかし、そのあとに更に思い出したことがあります。それによって、ホルモン療法すら無理なのではないかと思い始めたのです。
ホルモン療法すら無理ではないかという不安
以前、高プロラクチン血症の治療をしていたときのことです。「毎日飲む薬」から「週1回でいい薬」に変えたら、著しく精神状態が悪化しました。焦燥感が異常なほど強くなり、家から飛び出して近所を走り回ってしまったのです。
それから病院に行き、「飲んだあと精神状態が悪くなって、つらくて飲み続けられません」と言ったところ、「これはそういう副作用の出る薬じゃないよ」と言われながらも毎日飲む薬に戻してもらうことができ、精神の平穏を取り戻したことがあります。
そのほかにも婦人科で卵巣の病気になったとき、強制的に月経を起こす薬を飲んで、精神的な不調が起きたことがあります。どうもホルモンを調整する薬は調子が悪くなりやすい気がしています。
私は精神科の薬でも「そんな副作用は聞いたことがない」と主治医が言うような副作用が出ることがあります。発達障害のせいではなかろうかと思っています。どうも少し薬に過敏な体質のようで、子供の頃も喘息の薬が異常な小容量なのに効いていたことがあります。
これを思い出してからというもの、
ホルモン治療すら受けられないんじゃないか……?
声を低くしたいけど、それすらできないんじゃないか……?
小学生の頃からずっと願っていた声変わりは、一生できないまま終わるんじゃないか。
などと思ってお先真っ暗な気分になっていました。
ずっと声変わりがしたかった
小学校の高学年くらいから、自分は生理が始まり、周りではだんだんに男子が声変わりをし始めました。
男子たちの声が低くなっていくのが羨ましくて、毎晩布団の中で低い声を出す練習をしていました。その練習は高校を過ぎても、大学に行っても続きました。成人してからもときどきしていました。
低い声が出したい。
声変わりがしたい。
男性の声になりたい。
男性の声までいかなくても、せめて低い声になりたい。
私は寝つきが悪いのですが、布団の中で眠れずにいる間に、そんなことを考えながら低い声を出そう出そうとしていたのです。
ソプラノではなくテナーやバスになりたい
学生の頃、自分に高い音は出せないと思っており、合唱ではアルトかメゾソプラノでした。
しかしながら、成人してからボイストレーニングが受けたくて声楽を習ったら、先生には「ソプラノだね。訓練していないと思えないほど高音が綺麗に出るよ」と言われました。先生によると高いほど安定するらしく、逆にアルトのような低い音域は不安定な声になってしまうとのことでした。
声楽は楽しかったのですが、1年程度続けてからやめてしまいました。そうしたらカラオケにもぱったりと行かなくなり、何年か歌わずに暮らしました。
その頃に自覚していた理由は「発話のボイストレーニングが受けたかったので、声楽はもうやりたくない」でした。
ですが、ソプラノと言われ続け、実際にソプラノが出しやすいと感じ続けることが、もしかしたらしんどかったのかもしれません。
ちなみに学生時代、私が合唱で所属したかったのはテナーかバスでした。せめてテナーの音ぐらい出せないかなと低い声を出す練習をしていたのです。無理でした。
「悩んでいたいから悩むのだ」という割り切り
札幌の病院初診の前から、私には自分の声に関する新しい願望が芽生えていました。「男性ホルモンで声変わりをして、『声が変わってから話しづらくなったから』と発話のボイストレーニングを受けに行きたい」という願望です。変な願望だなと我ながら思います。
そこで冒頭に書いたホルモン治療への不安が戻ってくるわけです。体調への悪影響が大きすぎて続けられないんじゃないか、声変わりまで到達できないんじゃないか、と。
このように連日悩み続けて、ウンザリしてきました。
もういやだ! もう悩みたくない! アドラー先生なら「悩んでばかりいるのは悩んでいたいからだ」って言うんじゃないか!?
私はアドラー心理学のことは詳しく知らないのですが、聞きかじった範囲では、アドラー先生曰く「トラウマは、そのことをトラウマにし続けて苦しみ続けたいと思っているからトラウマであり続ける」という理屈らしいです。
悩んでいたいから悩むのだ。惨めでいたいから自分を哀れむのだ。そういう気持ちが湧いてきました。
だいたい毎晩ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」を読んでいるのですが、その本でも似たようなことを言うのです。「不幸な人は不幸でいたいからいつまでも不幸なのだ。ネガティブ思考をし続けると、ネガティブ思考が潜在意識に刷り込まれ、実現していく。ポジティブ思考を潜在意識に刷り込めばそちらが実現するのだが、多くの人はそれができないのだ」と……。(この部分は引用ではないため、正確な文章にはなっていないかもしれません)
連日うじうじし続けたからこそ、かえってそれを跳ね返そうと思えるようになったのだと思うので、悩み続けた数日間は有意義だったと思います。悩んだ現実も否定したくはないです。ですが、悩むことに疲れてしまったので、もうちょっと建設的なことを考えていきましょう。
自分の悩みを「本当の願望」に裏返す
性の違和感に関する私の悩みや不安を、今日まで何回かに分けて書いてきました。それを『「いつもの不安」を解消するためのお守りノート』の内容を思い出しながら「本当の願望」に裏返してみたいと思います。不安には本当の願望が隠れていて、願望を見据えれば不安に振り回されることがなくなると書いてある本でした。
「手術が怖い・痛いのが怖い」を裏返して願望にする
手術が怖い・痛いのが怖い
= 怖い思い・痛い思いをしなくても、幸せに生きられるようになりたい
= 自分のありのままの体を受け入れられるようになりたい
自分の体が認識と違い、手術で変えたいと思うことは悲しいです。この体を「このままでも良い」と受け入れられるようになったら、とても喜ばしいことだと思います。手術を受けない曖昧な位置にいられて、そのまま生きていくことができている人たちが羨ましいです。
自分がこの肉体を受け入れて、「これが自分なんだ」と思える日が来るのかどうかはわかりません。ですが、生まれ持った肉体を受け入れられることは素晴らしいことだと自分は思っているのだと気づきました。この肉体を受け入れて愛せるものなら、そうなりたいという気持ちにも。
「ホルモン療法すら無理なのではないか」という不安は手ごわい
手術への不安は前述のように、「あぁ自分はこう思っているのかも」と納得できる願望への転換ができました。
ですが、「ホルモン療法すら無理なのでは」という不安感はどうにも手ごわいです。
案Aとして
自分の肉体に元々多くないホルモンを、無理に増やすことの不安
= 健康に生きたい、安定した精神状態を維持したい
と考えてみたのですが、
いや、違う気がする。
子どもの頃から熱望していた声変わりは今でもしたい。
という風に違和感が湧いてきます。
なので案Bとして
「健康は損ないたくないが、どうしても声変わりはしたい」
という願望なのかな……と考えてみたのですが、どうもしっくり来ません。
人の気持ちには多面性があり、すっぱり割り切れるものではありませんので、ひとつの答えを導き出そうとしても、すんなりと納得がいくものではないでしょう。
まあ、自分の場合は健康への影響がかなり大きそうなので、ホルモン療法はせめて信頼できる医療機関で行うことにしようと思いました。独断で薬飲んだりとかは自分の場合は絶対ダメだと感じます。
余談ですが、私は『「いつもの不安」を解消するためのお守りノート』は以前の職場で読んだことがあるだけで、持っていません。内容をうろ覚えのまま「不安を願望に転じるワーク」をしようとして、非常にモヤモヤしました。きちんと本に沿ってやってみたいです。これは買えというお告げですね! 近々買うことにします……。
ここ数日の不安や悩みで、改めて「白黒思考」に気づく
ここ数日悩みながら、「男」か「女」のどちらかであることが好ましいと感じている自分に気づきました。発達障害によくあるらしい白黒思考というやつですね。
- 0か100かじゃないとモヤモヤする
- 白黒つけなきゃ落ち着かない
そういう思考傾向は、曖昧なことが多い世の中ではしんどさを生み出す原因になりがちです。
そして私は自分自身が、
- 社会生活上は女性としてなんとか35年ぐらい生きている
- 性自認がはっきりしていない(男が近いとは思っている)
- トイレにはさほど困ったことがない
- 服装は男装の時期も女装の時期もあり一貫していない
- 恋愛対象の性は原則女性だが、男性を好きになることもあった
と性別がかなりあやふやでありながら、自分自身においては「男なら男」「女なら女」とはっきりさせたい気持ちがあるので、自分で自分を追い詰めている状態のように思いました。
他の人が曖昧な性でいても、不快に思うことはほとんどないんだけどなぁ。
「他の人はいいけど自分はダメ」もよくない思考傾向だと感じるので、あまりそうならないようにしたいですね。「自分も曖昧な性でいていい!」って思えるようになれば生きやすくなるんでしょうね。
いやでも膨らんだ胸は気持ち悪いし、甲高い声も気持ち悪いし。無限ループだ……。
まとめを4行で
- ホルモン療法は自分の体質に合わない可能性があるので、やるなら独断でなく病院で受けたい。
- 悩みたいから悩んでいる。悩んでいたくない人は吹っ切る努力をする。
- 不安の裏には本当の願望が隠れている。
- 自分は性という白黒つけにくいものに白黒つけようとして苦しんでしまっている。
3行にしようと思ったら3行で収まりませんでした。
余談ですが、子どもの頃からそんなにずっと声変わりを望んでいたんなら私はもう男性を自認していいのではという気がしました。女性が同性だと感じたこともないですし……。服装の性別が迷子になるくらい誰でもあるんじゃないでしょうか(実践するかは別として)。