15年くらい前の大学生のころ、成人式で振袖を着るために着物用下着を着て、平らになった胸を見て
これが本当の自分だ!
と思いました。えも言われぬ解放感で、とても嬉しくなったのを今でも思い出します。
それまでも自分の性には違和感がありましたが、胸を潰して解放感を感じたあとは、性の違和感が一層強くなって悩み始めることになりました。
セクシャリティをネットで相談した
その頃、自分のセクシャリティがよくわからず、2ちゃんねる(当時)のセクマイ板で相談しました。
なんと書き込んだのかははっきり覚えていないのですが、恋愛経験が乏しくてセクシャリティがわからないと書き込んだところ、
ビアンでタチなんじゃないかなぁと思う。
と返信してくれた人がいました。自分でも恋愛や性欲の対象は基本的に女性だと感じていたので、ひとまず「自分はビアン」ということにしました。
とはいえ、その頃も女性にはなんとなく「同性でない」という感覚は持っていました。しかし難しく考えるのは避け、ひとまず「自分はビアン」ということにしてネット上でビアンの人々と交流していました。自分の正体をはっきりさせておきたかったのだと思います。
MtFビアンさんに親近感を持ち始める
その頃のレズビアンのコミュニティはかなり曖昧で、「レズビアン」と言いながらFtMの人が混ざっていました。
レズビアンは当時「ボイ」(ボーイッシュ、男性らしい)と「フェム」(フェミニン、女性らしい)の2種類に分かれていましたが、私が好ましいと感じるのはフェムの人たちでした。FtMの人たちはだいたいとても男らしいので、恋愛対象としては考えることができませんでした。
そのうち、はっきりとしたきっかけは記憶にないのですが、MtFビアンさんに興味を持ち始めるようになりました。MtFビアンさんは大多数がフェムさんだったので、その影響もあるかもしれません。
自分も性の違和感を抱える身。ですが違和感がありながらも女装をし、メイクも頑張っていた時期があります。その頃は「レディースファッションやメイクの話ができる人と恋人になりたい」と思っていました。性の違和感がある人なら自分と似た感覚も持っていそうだからと、MtFビアンさんがベストパートナーなのではと思っていました。
「『なりたい』の? 『戻りたい』の?」という問い
当時、何人かのMtFビアンさんとSNS(mixi)でやり取りをしていたのですが、その頃に性の違和感を相談したMtFさんに言われたことは今でも印象に残っています。
男性に「なりたい」の? それとも「戻りたい」の?
「なりたい」なら変身願望であって性同一性障害ではないよ。性同一性障害なら「戻りたい」のはずだよ。
その頃の私は「戻りたい」とは思えませんでした。なぜなら私は生まれてこのかた男性だったことは一度もないからです。「男性になりたい」とは思っても、「戻りたい」という言葉は違和感がありました。
その人の言葉は釈然としない部分が多く、だんだんに話すのをやめてしまいましたが、言われた言葉は何年もずっと心に残っていました。楔のように打ち込まれていたと言っても過言ではありません。
男性に「なりたい」けど、「戻りたい」じゃないから、私は「ホンモノ」じゃないのかな……。
イヤイヤながらも「女性」としてなんとか生活できているので、「障害ではないんだ」と結論づけていた時期もあります。そのころに書いたnoteがこちらです。
トランスジェンダーの「ホンモノ」論争
トランスジェンダーの世界には、「社会的に生活できているんなら『ニセモノ』」「手術を受けない奴は『ニセモノ』」というような、「診断がついてホルモン療法も手術もしただけ人が『ホンモノ』のトランスジェンダー」という風潮が以前ありました。最近のことは詳しく知りませんが、質問サイトの回答にはたまにそのようなコメントがついているのを見かけます。
発達障害界隈にも「自己診断の『自称アスペルガー』はニセモノ」だとか「『グレーゾーン』がいい気になるな」といったような診断がついていない人への批判がありますので、どこへいっても変わらないなぁと思います。
そしてそういう人たちの言い分に、おそらく私は共感できるのでしょう。
35年も「女性」として生活することができていたんだから、今更障害でもないんじゃないか?
女装が趣味だったこともあるし、自分を男性だと思うのはおかしいんじゃないか?
そんなふうに思ってしまって、自分で自分の中途半端な考えに嫌悪を抱いてしまいます。「俺は男だ! 手術受けてホルモンも打って男として暮らすんだ!」と一直線に思うことができればいいのに、それができないことが苦しいです。
診察を受けてから「自分は男だ」と感じ始めた
性同一性障害の診断を受けに行くのは大変でしたし、地元には相談できる場所がありません。「障害」と言うほどなのかもわからなかったので、長年「障害ではない」と思うことにして、やり過ごそうとしてきました。
しかしながら診察を受けて、その“封印”が解けてしまったような感じがします。ずっと蓋をして箱の中に閉じ込めていたものが溢れだしてきたというか。
診察を受けてかえって悩みが深くなったとはこちらの記事にも書きましたが、その後、猛烈なうつがやってきて衝撃を受けました。
自分の体がおかしい、醜い、正しくない。
声がおかしい、こんな女みたいな声のはずがない。
顔がおかしい、こんな女みたいな顔であるはずがない。
入浴しようと思って風呂の鏡に体が映ると、いつもいつも
ありえない塊がぶら下がっている(乳房)。なんて醜い体なんだ……。
と思っていましたが、診察を受けてからは鏡に映った自分の髪形を見て
女みたいで気持ち悪いな……。
とも思い始め、鏡から目を背けるようになり、なるべく見なくなりました。
私には抱き枕を抱いて寝る習慣ががあるのですが、抱くと胸が枕に当たります。それで膨らみの存在を感じて、不快感の発作が起きます。胸を包丁で切り裂きたくなります。
FtMのホルモン療法の感想をいくつか読み、「男性ホルモンを打ったら筋肥大が起こりやすくなって、筋トレの成果がどんどん出てくる」という記述を見て、
そう! それを求めてるんだよ! 筋肉がわかるゴツゴツした体になりたいんだ! 筋トレしてもしても“ナイスバディ”になるだけの女の体じゃなくて、ムキムキになりたいんだよぉ!
と心の中で叫んだりもしていました。大学生のころ、ジムに通って筋トレをしながらプロテインを飲んでいた時期がありますが、どうせ頑張っても“キレイな女体”になるだけなので、苦痛でやめてしまったのです……。
上のほうでは「一直線に性転換を望めたらいいのに」と書いていますが、今の私はもうひとつ思っていることがあります。
自分は男だという感覚が一過性のものであってほしい……。
我慢しながらでも「女性」として生きていられるほうが、いっそ生きるのがラクです。診察を受ける前までは精神状態もかなり安定していて、うつの傾向はなかったんですが、急転直下という感じです。
診察に行かなければ、曖昧にしながら楽に生きられた気がします。ですが、今回診察を受けに行ったのは、「堂々と自分らしく生きたい」と瞑想のときに唱え続けた結果なのです……。(詳しくはこちらの記事に書いてあります)
まとめを3行で
- 「『なりたい』と思うのは変身願望」という言葉に「自分はトランスジェンダーではない」と思わされていた
- 性転換にまっしぐらに向かえないことがツライ
- 女性の肉体を持ちながら「自分は男だ」と感じることは苦痛
人生の悩み事は誰にでも絶対にあるものとはいえ、もうちょっとシンプルな悩みを抱えたかったです。「子育てが大変」とか「婚活が」とか、なんかそういう……十人並みの、誰でも持っているような悩みを持ちたかった……。