私は今年の誕生日で36歳になります。年男とか年女とか言われるやつでした。
「男」とも「女」とも言いづらくて複雑だった。
そして今年は、実はアスペルガー症候群と診断されてからも12年目でした。生まれた年としても、「第二の誕生日」としても干支が巡ってきていた年でした。
私はときどき母から産まれるときの話を聞きます。その内容によると、どうも私は奇妙な偶然が積み重なった末に生きて産まれることがでたようです。
また胎内で性別不明だったために両性で通じる名をつけてもらったのですが、性の違和感で悩んでいる今も「戸籍の性を変えることになっても、名前を変える必要はない」と感じます。
そう考えるとずいぶんいろいろな偶然に恵まれて生まれたようです。奇跡と呼ぶのはあまり好ましく感じませんが、偶然の積み重ねの結果は興味深くて好きです。なのでそれを記事にしてみることにしました。
出生時、死んでいたかもしれなかった
母に聞いた話を思い出して書いてみると、
- 逆子だった(最初は頭が下で、後々逆子にひっくり返った)
- 陣痛がないのに足が降りてきていた
- 担当医が翌日から出張だったので、急遽帝王切開した
- 首にへその緒が絡まっており、担当医に「自然分娩なら死んでいた」と言われた
- 産まれたとき、合掌して拝んでいるようだった
とのことです。
私の右手の親指は少し潰れて変形しています。写真を撮ってみましたが、左手と見比べると明らかに違う形ですね。
触ってみると骨ごと変形しているのがよくわかります。
これは「胎内で合掌していて、左手の親指で右手の親指を押さえていたからだ」と親に言われています。合掌して右手の親指を左手の親指で押さえてみると、それが自然な形だと納得するような収まりの良さを感じます。(自力では写真に撮れません)
膝も正座のような形に折り曲げていたと聞いた記憶がありますが、そこまでいくと「話を盛りすぎでは?」という気がしてきます。
それにしても、陣痛も起きないうちから足を産道に下ろし始めるとは(逆子だったので下になっているのは足)、私はよっぽど早く生まれたかったのでしょうか。それとも自然分娩で首を吊ることを期待していたのでしょうか。
どちらとも解釈のしようがあるのが興味深いですが、今の私だったら「早く生まれてきたかった。困難があっても(逆子・首のへその緒)無事に生まれるように祈っていた」と解釈するのが一番心地よいです。
性別不明だったがための命名
もう一つ興味深いと思っているのは、私が胎内でずっと性別不明だったことです。
当時(約36年前)はエコーの精度も今ほどよくなかったので、胎内の子の性別がわからず、生まれてきてからやっと判明というのも珍しくなかったようです。
そして母が法事で自宅を離れて遠方の実家に戻り、そのまま帰らず出産することになってしまい、父は自宅で仕事があって出産に立ち会えなかったため、先に名前を決めておくことになりました。
当時はインターネットなどありませんでしたし、長距離電話で長時間話すわけにもいかなかったので、相談できるときに名を決めておくのは英断だったと思います。
そのとき、両親は「男でも女でもそのまま通じる名前にしよう」といって私の本名を決めてくれたそうです。
出産当時に親戚に言うと「男の名前だ」と言われることが多かったそうです。私は同名の人物には男女とも会ったことがあります。同名の著名人に女性がいるせいか、近年は女性名の印象が強くなっているように思いますが、両親の元々の意図としても両性向けの名なので、改名は考える必要がないと思っています。
肉体の性も精神の性も胎内で決まるものだと思います。胎内で性別不明なのは珍しくない時代でしたが、今になって思うと、「そんなに自分の体をはっきり見られるのがイヤだったのかな」などと思ってしまいます。それが功を奏して(?)両性向けの名を授けてもらえたのでしょうか。
未だに人に体を見られるのがイヤで、銭湯も温泉も行ったことがない。
まとめ:出産話には奇跡がいっぱい
私の出生の話をまとめます。
- 偶然の重なりで生きて産まれることができた
- 胎内で合掌していた名残が今も残っている
- 出生エピソードの解釈の仕方はさまざま
私にはもう胎内の記憶がないので、母の胎内で私が当時何を思っていたのか知りようがありません。自分のことながら他人事のようで、それがまた興味深く、自分が産まれたときの話を聞くのは昔から好きでした。
他の人の出産話も、聞いていると奇跡を感じる話が多いです。そのような話を見聞きしていると、自分の子を生んでくれる相手がいないことに少し寂しさを感じます。自分で産むという発想は昔から今まで一貫して皆無だなぁとしみじみします。
以上、自分が誕生するときに重なった偶然の話でした。