「多様性の尊重」という言葉が広く取り上げられるようになり、マイノリティに強く配慮する動きをよく見かけるようになりました。
その一方で、長く続いた既成の価値観や、マジョリティ(多数派)が軽視されがちのように思います。
マイノリティもマジョリティも等しく尊重されてこその「多様性」なのに……
「多様性の尊重」過渡期の時代、「多様性」について改めて考えてみたいと思います。
「多様性」とは何か
SNS社会になってから、性的少数派(セクシャルマイノリティ)や発達障害など、少数派の人たちが声を上げやすくなり、少数派の人たちの意見が目に留まりやすくなりました。
それに伴い「多様性の尊重」という名目で少数派の意見を押し通そうとする動きや、少数派への過剰な配慮を強いる動きが強まっているように思います。
ですが「多様性」とは、多数派も少数派も含めた様々な性質のことを指します。少数派だけを偏重するのでは、多数派社会と根本的な思想は同じです。
多数派社会は、見えにくい少数派を存在しないことにして、多数派の感覚に合わせてできてきた社会で、少し前までの日本はまさしく多数派社会の一例だと思います。
それに対して「少数派をもっと尊重しよう」という動きそのものは歓迎できるのですが、少数派だけを尊重し多数派を抑圧するのでは、どちらかが不満を抱えるという意味で今までの社会と何も変わりません。
「多様性」はどう尊重されるべきか
性的多様性の場合
考えやすいので、性的な多様性について先に考えます。
「多様性の尊重」がうたわれるようになって以降、性的少数派(セクシャルマイノリティ)への配慮では、既存のコンテンツのうち性的要素が極端なものを敬遠する傾向にあります。例えば極端な「男性向け」「女性向け」のものを撤廃し、性的な境界のないコンテンツを提供しようとする傾向ですね。
それはマイノリティの尊重にはなっているかもしれませんが、多様性の尊重ではありません。
なぜなら極端な「男性向け」「女性向け」のコンテンツを好む層が尊重されていないからです。
- 既存のコンテンツを変わらず継続する(既存コンテンツが好きな人たちの尊重)
- 性的要素の薄い、両性が自由に愛せるコンテンツを新しく作る(既存コンテンツを好まない人たちの尊重)
この二本柱となってこそ「多様性の尊重」と言えるはずです。
同様に銭湯のような性別の区分けがはっきりした施設も、そのような区分けで利用したい人もいるのです。性別フリーで利用できる銭湯を作りたい方は新しく作ればいいのであって、既存の銭湯全てを変えればいいという話ではありません。
その他の多様性の場合
性的少数派(セクシャルマイノリティ)に関わらない、その他の少数派と多様性の尊重も同様です。
既存のものを保ちながら、新しく少数派を尊重したものも作ればいいのです。
その中で「少数派に配慮したくない」という人はしなければいいのです。それもまた多様性の尊重ですから。(差別とは別なので、「配慮が無くとも利用したい」という少数派の方を拒んでいいわけではありません)
差別とどう区別するか
私は「少数派に配慮をしたくない」という人が配慮しない選択も尊重されるべきだと思っています。
ですが差別は好ましくないと考えます。
では「配慮しない主義」と「差別」をどう区別すればいいでしょうか。
これはあくまでも私の個人的な考えですが、弾圧する、糾弾するなどの実害を与えたら差別なのではないかと思っています。
つまり自分の主義を元に他人の人権侵害をする気がないなら差別ではないだろう、と私は思っているということです。
例えばコンテンツ製作において、「少女向け」のコンテンツを今後も積極的に作っていきたいという人がいると仮定します。その人がセクシャルマイノリティを弾圧したりコンテンツ利用を拒んだりしたら差別ですが、ただ提供するコンテンツの内容が少女向けであるだけなら差別ではないと思うのです。
まとめ
- 多様性を尊重するなら、多数派も少数派も尊重すべき
- 新しいものを作ってもいいが、既存のものを尊重するのも忘れずに
- 配慮しないのと差別するのは違う
現代は「多様性」に関してまだ過渡期なのだと思います。
真に「多様性」が尊重される時代になり、多数派も少数派も様々な人たちがそれぞれに尊重されるようになってほしいです。