この記事は過去のブログに掲載していたものを書き改めたものです。元の話は私と母の著書「アスペルガーだからこそ私は私」にも収録されています。(p98~)
長さがばらばらの木で作った樽
私が以前、病状が悪かったときにセカンドオピニオンを受けに行った病院の先生が、「長さがばらばらの木で作った樽」について話してくれました。
アスペルガー症候群の人のことを考えるときは、長さがばらばらの木で樽を作ると考えるとわかりやすいよ。
すごく短い木、すごく長い木、普通の長さの木、いろいろ組み合わせて樽を作ったら、水はどこまで入る?
短い木までですね。
そうです。入れるものはストレスとかです。
定型発達者(発達障害が無い人たち)は、他人を認識するときに、能力が一番高い部分を基準にして「この人はこのくらいのことができる」と思ってしまう……とは、発達障害者の発達の度合いのギザギザさを話題にするときに、少なくとも北海道の道南地域では言われます。ですが私は、「自己認識も同じではないだろうか?」と思うのです。
自分でも一番得意なことくらいできる気がする
未経験のなにがしかを始めようというときに、「このくらいはできるんじゃないかな」と想像してみることは誰にでもあると思います。そのとき、少なくとも私は「自分の能力の一番高い部分」を自然に自己の能力基準として認識してしまうようです。楽観的なんですね。
それが得意な事柄ならば「思った通りにやっぱりできるな」と思うのですが、世の中はそう都合がよくありません。不得意な事柄に挑戦したとき、「あれ? 何でこれしかできないんだ? どうしてこんなに上手くいかないんだ?」と、私は自分で自分を不思議に思い、幻滅します。
これは発達障害だからではなく、定型発達の人でも「やってみたら思ってたより難しいな」と感じることはあるようなのですが、発達障害者の場合はギャップがあまりにも大きいのです。
ギャップが劣等感に繋がる
発達障害の傾向がある人は、自分のことを「なんでこんなに私はできないことが多いんだ?」と不思議に思ったことがあるのではないかと思います。「こんなこともできないなんて……。死にたい……」となってしまうケースもあるでしょうね。私もなったことがあります。
前述の例え話に置き換えると、つまり自分も他人も「長い木」を基準に樽を見てしまうんです。そして、長い木の分まで水(ストレス)が入ると思い込んで水を注ぎ、短い木の部分で溢れ始めて「あれ?」と首を傾げるのです。キャパシティ(能力)を非常に簡単にオーバーしてしまうわけです。
対策:新しい挑戦をするときは、なるべくフラットに考えよう
こういうギャップは無意識に長い木を基準にしてしまうから起きますね。
なので、未知の事柄は長い木も短い木も基準にせず、「やってみてから向き不向きを判断」としたらよいのではないかと思います。
あるいはいっそ初めはネガティブに構え、短い木を基準にして慎重に準備をするのもいいでしょうね。ネガティブ思考は嫌われがちですが、うまく使えば用意周到さとして生きてきますので、ネガティブがちな方は準備に力を入れてみてください。
私の場合は、自分の不安障害ぶりを活かして周到な準備をするようになりました。その結果、不安感が抑えられるのと同時に、準備不足も減り、物事が上手くいきやすくなりました。