更新がめっきり途絶えて申し訳ありません。猛暑×体調不良×深刻すぎる過集中で日常生活が全て持って行かれていました。その辺もまた後々書けたらと思っておりますが、今回はまたしても「性別」の話です。
「トランスセクシャル」と「トランスジェンダー」はほぼ同義である……と以前読んだ本にありました。そこに区別はそんなに存在しないと。ですが、私はその区別をとても感じています。であれば、言葉にせねばなりませんね……?
「トランスセクシャル」と「トランスジェンダー」の違い(主観)
これは自分なりの定義ですので、医学的な定義が別にあるかもしれないことはお断りしておきます。その上で、私の主観で語らせていただきます。
まず、用語として。
ジェンダー:社会的な役割、文化的な側面としての性別。「男らしさ」「女らしさ」などは全てジェンダー。
セクシャル:肉体の性。つまりは動物的本能としての性。
私はこのように捉えております。つまりは「トランスジェンダー」とはジェンダーの食い違いのほうがより苦痛な当事者、「トランスセクシャル」はセクシャルの食い違いのほうがより苦痛な当事者なのかな、と。まぁこの辺りの切り分けは難しいでしょうけれども……。
そして、私は「トランスセクシャルの当事者」だと感じています。というのは「自分が社会生活上どちらの性でいるか」は果たされなくてもまぁ我慢はできるのですが……私の動物的本能は100%男性だからです。なのに何故か体は違うんですけど。
トランスセクシャルと名乗る上で抱く感覚
私が性自認と異なる自分の肉体に求めているのは、こんな感じの内容です。
- 性自認と合う生殖能力がほしい
- 子どもを持つことが諦めきれないため、子宮・卵巣は残ってもいいかとは思っている
- ただし、肉体に合った性(女性)での生殖行動は、可能性そのものが頭の中に存在しない
- 胸だけはどうしても切除したい
- 社会的な扱いが女性だとイヤはイヤだが、現状維持でも我慢はできそう
一方、世の中の例だとよく見るのは(ここで言う異性とは「性自認に対して異性である」という意味です)、
- 異性の服を絶対着たくない
- 身分証明の性別欄が異性で耐えがたい
- 社会的に異性扱いをされ苦しくてたまらない
- 異性の肉体を使っての性行為や生殖を耐えられる
- 身体的特徴を正しい性に近づけたいが、生殖能力にはあまりこだわらない
というジェンダーの側面が強く語られがちなんですね。
そしてこの「トランスジェンダーによくある例」が私にはあまりにもピンとこないのです。あまりにも理解できないと感じる部分さえあります。
私の本能が男性的すぎるのか、それとも私が動物的本能に突き動かされすぎなのかわかりませんが、私が理解できない部分は以下です。
- 自分の女性としての生殖器を使った性行為ができる
- 自分が妊娠し子どもを産むことができる
本当にここだけは理解できない。「自分に類似の人たち」と思うからこそ、かえって全く理解できない部分です。どうして「男」として生きることを望みながら、「体の女の部分」を使ってしまえるのか……?
まあ、私が男性的すぎるんでしょう。
極端に偏った私の動物的本能
私の動物的本能はあまりにも男性に偏っています。というのも「自分の遺伝子を持つ子がほしい」と私は昔から思っているのですが、それに付随する発想は
- 子は、誰かに妊娠してほしい
- 自分の子を妊娠してくれる人は、愛おしくてたまらない
- 子、及び子を妊娠した相手は外敵から守りたい
という男性側のものばかりで……それ以外が無いです。
例えば女性的な発想だと、こういう例があるのではと思います。
- 誰かとの子を望むとき、自分が妊娠したい
- 身ごもった自分を、大切にされたい
- 子を産んで、母になりたい
私はこういう発想を見たとき、100%言われる側としてしか考えることができません。自分の中にこの発想がなさすぎて、全く共感できないのです。
ですが、「性はグラデーション」という言葉があるくらいですから、この動物的本能に関しても「どちらもわかるがどちらかといえば……」という感覚がメジャーなのではと思うんですね。
男性側しか理解できない……。男性側はもう「わかる~~~~~!」ってなるのになあ……。
とはいえ、私が男性の体を手に入れてしたいことは動物的本能に基づいた行動であり、つまりは子作り(比喩でなく)なので……。一番ほしい生殖能力が手に入らない以上「無理に手術してもなあ」という感覚にはどうしてもなってしまいます。
逆に自分が産むのではなくパートナーが産んでくれるなら、自分が提供するのは卵子でもいいかなと思っています。養子は絶対イヤですね。自分の遺伝子を継いだ子がほしいので。
まとめ
- 「トランスジェンダー」と「トランスセクシャル」は同義とは思えない
- 自分の動物的本能は男性に偏りすぎている
私は「トランスジェンダー」という言葉で表現されるとモヤモヤしてしまいます。まあ、ジェンダーとしても男性になれたらそれは確かに幸せですけれどもね。