ご無沙汰しております。めっきり更新ができなくなりました。遠方のジェンダークリニックへの定期的な通院が想像以上につらいです。仕事と通院でやっとの日々です。
ただ、日々限界近くまで疲れ切っていますが、うつのような異様な落ち込みはありませんし、体調も概ねいいです。疲れ果てているだけで、疲労以外に問題はないと感じます。
余力は全くありませんが。
さて、今回は通院中にあった出来事を書きたいと思います。気付かずに女性専用車両に乗ってしまい、降りるまでの間に恐怖を感じたという話です。
女性専用車両と気付かず乗ってしまった
ある日の通院で、いつもと違う駅から電車に乗りました。駅に着いたら電車がちょうど来ていたので、急いで乗り込んだのですが、どうも車内の様子がおかしいのです。
女の人しかいないな……?
不思議なくらい女性(に見える人)ばかりの車内。最初のうちは「都会だから車内が女性に偏る時間帯もあるのかなあ」と思っていましたが、ホームで待っている人も女性ばかりで、さすがにおかしいと感じ始めました。
もしかして、これは女性専用車両?
(ぼくの地元には女性専用車両がないので、慣れない概念なのです)
女性専用車両かもしれないと思った途端、すさまじい恐怖に襲われました。降りるまでの間ずっと恐ろしくてたまりませんでした。
降りてから確認したら、やはり女性専用車両でした。次からはよく見て、避けて乗りたいと思います。
その恐怖はどこからきたのか考えた
女性専用車両に乗ってしまって感じた恐怖はどこからきたのか、我ながら不思議でした。乗っている間に思っていたことは次のようなことでした。
- 自分(FtM、性自認は男性)はここにいて罪に問われないのか
- この車両に乗っている人は「女同士=安全」と思っているのか?
- 何をもって「女同士」と判断しているのか?
「女同士なら安心できる」とはとても奇妙な考え方だと思います。なんの根拠があるのでしょう。
ぼくは昔から女性を同性と思ったことがありませんが、一方で男性も同性とはあまり思えないため(自分の肉体や社会生活経験が女性であることが理由)、「同性なら安心」という感覚が全くわかりません。
男性は一方的な感覚としては同性に近いんだけど、向こうからは異性として見られてしまうので「同性同士」という安心感は謎の概念。
女性だらけの空間に自分が混じったときは、周りの感覚が理解できなくてしんどいことが多いため、「女性限定の場所」は全く安らげません。
性的多数派の人は「女同士は安心」という感覚を人生の中でたびたび得ているということですよね?
「安全のために女性同士で集まる」というのが女性専用車両の理念だと思うのですが、そもそもそれが理解できないのです。
もしかしたら恐怖の理由はそれかもしれません。「わからないものは怖い」のが人間ですからね。
追記:「『同性同士』が成立しないこと」を突きつけられて怖かったのかも?
先日、この話をとある当事者会に参加したときに話してみました。
そのときになんとなく恐怖の理由がわかった気がしました。
ぼくは今までの人生で女性を同性だと思ったことが一度もないのですが、にもかかわらず、女性からは同性だと思われることが多いです。一方、男性は同性に近いのですが、男性からは異性と認識されていることがほとんどです。
その現実を「女性しかいない空間」という形で突きつけられて怖かったのかな……と思いました。
それはそれで少し違う気はするんですけれども。
ぼくの人生で「同性同士」という概念は成立しません。それを改めて目に見える形で確認すると複雑でした。
思えば、必要に迫られて女子更衣室に入ったときにも似た感覚を抱いていた気がする……。
まとめ
- 女性専用車両が怖かった
- 「女同士なら安心」という感覚が理解できない
- 理解できないものは怖い
- 「同性同士」は成立しない
もう二度と乗りたくない!!
今後は誤って女性専用車両に乗らないように気をつけます。
ぼくの外見は未だに女性なので、乗っても周りから怒られることはないと思いますが、ぼくの精神的な負担が重すぎるので。