価値のない人間はいない。他人を認めて自分の価値も認めよう

二次障害(うつ病、不安障害)
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以前のブログ(削除済み)にも書いたことですが、私はこの世に価値のない人はいないと思うようになりました。その後、だんだんに価値のない物事もないと思うようになりました。

そう思うようになったことと、私がうつ病から抜け出していったのとは、大いに関係のあることだと思います。他人を見ていて「価値のない人間はいない」と思えるようになってから、自分も誰かにとって価値があるのだと認めることができるようになりました。他人を認めることで自己肯定感が高まったのです。その具体的な話をしたいと思います。

価値のない人間はいない(旧ブログより転載)

これは私が叔母を見ていて実感したことです。

叔母は、欠点しか見つからないような人です。詳細は叔母の名誉のためにも、あまり人の悪口ばかり言いたくないという意味でも、プライバシー保護の観点からも書けませんが、周囲の人々を振り回し続ける人で、叔母との付き合いは難しいです。

口先だけで短所を長所をに変換して言うことはたやすいですが、それを本当に長所として扱って接するのは困難です。

ですが、そんな叔母が無価値な人間かというと、そんなことは絶対にありません。

反面教師としての価値

何故「欠点しかないような人」に私が価値を見出したのか。それはひとつには、「叔母が反面教師として優秀」と感じたからです。

叔母(母の妹)を数日のあいだ身近に見て、「将来、このような姿になるのはいやだ」と思いました。それで私は家事の手伝いなどに以前より積極的になれて、ワガママも少し減り、両親から「成長した」と喜ばれました。ですが、成長を実感して一番嬉しいのは、親でも誰でもなく、私自身です。

叔母は病院や支援機関の粘り強さを明らかにしてくれた

反面教師としての優秀さだけでなく、叔母には「よいところ」が他にもあります。

接するのが非常に難しい叔母のような相手にでも、病院や障害者支援機関はそう簡単には諦めず、根気よく接してくれます。

それを見ていて、母は私の将来への心配が減ったと言います。私もあれだけ見放さずに頑張ってくれる病院や支援機関を見ていて、自分の将来も安心できると感じました。

厄介なことに変わりはないけれど

価値を見出しても、叔母がとても厄介な人であることは変わりません。付き合いを避けられるのであれば、極力避けたいとも思います。

ですが、それでも、「あんな奴、死んでしまえ」とは思いません。叔母にも寿命が来るまで生きていてほしいと思います。

そんな風に叔母の価値を感じているうちに、私は「この世には『誰にとっても価値がない人』はいないんだ」と思うようになりました。自分には価値が見出せない人も、他の誰かにとってはとても価値がある人かもしれません。

「自分にとって価値が感じられない人」は確かに存在すると思いますが、その人が誰から見ても価値のない人かというと、そんなことはないはずです。

それは自分のことを考えるときにも同じです。

自分にも価値がある。ただ、わからないだけ

自分の価値を自分で見出せる人はなかなかいないと思います。自分にとってできて当たり前のことは、どんなに他人にすごいすごいと褒めたたえられても嬉しくもないし価値を感じないのもよくあると思います。

「あって当たり前のもの」「できて当たり前のこと」に価値を見出せないのは、自然なことです。「当然あるものへの感謝」はできる人のほうが希少だと思うんです。私もそうです。

現代日本で、水道の蛇口をひねって水が出てくることに感謝する人はそうそういないでしょう。断水を経験すれば一時的に感謝するかもしれませんが、水が出るのが当たり前の生活をしていると、その感謝もすぐに薄らいでくると思います。

「自分」という存在自体が、自分にとっては「あって当たり前のもの」ですから、自分の価値もまた、自分では見出せないでしょう。

自分にとっては価値がなくとも

ですので、「自分には価値がない。だから死ぬ」と自殺を考えるのは、ちょっと待ってほしいと思います。私も似たようなことを考えて死のうとした過去がありますが、愚かだったとも、そんな考え方しかできない自分がある意味で不幸だったとも思います。

自分が自分に価値を感じていなくても、周りの人は、自分に何かしら価値を見出しているかもしれません。それは自分ではわからないことですし、わかりようもないことです。わからないのが自然です。私も、私の価値はよくわかりません。

ですが、私の叔母のように欠点ばかりが目につく人でも、私は彼女に存在価値をはっきりと感じるのです。そのことから、私は「価値のない人間はいない。それは、自分も他人も同じだ」と思うことができました。これが私が自己肯定感を身につけたきっかけのひとつではないかと思います。

もしかしたら、叔母の最大の存在価値は、私をこういう考え方に辿り着かせてくれたことかもしれません。叔母にとっては不名誉な存在価値かもしれませんが。

「長所のある人の存在価値」は簡単に導き出せる人がいると思います。私もそうでした。でも、短所のある人にも、やはり価値はあるのだと気付かせてくれた叔母は、貴重な存在、価値ある存在です。

私に好意的に接してくれる人にとっては当然私は価値ある存在なのでしょうけれども、私に対して否定的な人にとっても、私は何かしらの価値はあるのかもしれない(その人が認めたがらなくても)、と思えたことで、なんだか少し気楽になりました。

価値のない物事はない

欠点が多かろうが存在価値はあります。もっと言うなら「存在しているだけ」で価値があります。これは「人」だけでなく「物事」にも言えます。

例として取り上げたいのは、私がときどき関わっている、北海道函館市の世界自閉症啓発デーイベントです。このイベントを「支援者目線のイベントばかりだ」と批判して「当事者目線のイベントを」と立ち上がった人たちがいます。

この地域にイベントが存在しなかったら、批判も起きなかったし、立ち上がった人たちもいなかったはず。刺激材料として地域を活性化したことは、それだけで価値があることでしょう。

挑戦するだけで価値がある

何かをやるからには成功したいものですが、成功しなくても、挑戦した段階で価値があります。著名人ともなれば「何かに挑戦する」というだけでニュースになったり関心を呼んだりしますね。それは著名人だからではありません。「誰かが何かに挑戦すること」そのものに価値があるのです。

なぜなら、世の中には挑戦することすらできない人がたくさんいるからです。「やってみたいなぁ、でも失敗が怖いなあ」とやってみないまま終わってしまう人が数多くいます。もしくは、病気や障害など様々な問題で「やりたくてもできない」。そういう人たちにとって、自分の代わりに自分がやりたいと思っていることに挑戦してくれる人は希望なのです。

ですから、「やってみよう!」と行動を起こせただけでも有意義なのです。挑戦し始めた姿を見るだけで勇気をもらい、動き出せる人がいます。結果がまだ出ていなくても、です。

失敗しても価値がある

失敗談にも価値があります。ノウハウに至っては失敗談のほうが価値が高いです。

成功談は、成功したただ1つの例を学ぶものですが、失敗談は複数の事例を学ぶことに繋がります。

失敗したくないのは人々の心理として当たり前。「失敗談を知ることで、自分は失敗を避けよう」と思う人が多いからこそ、失敗することにまで価値が生まれるのです。

成功すればもちろん価値がある

成功談が無価値かというと、そんなことはありません。成功談には数々の奇跡や努力の結果が詰まっています。失敗を重ねた末の成功ならば、失敗をどのように活かしたのかまで知ることができる貴重な事例となります。

失敗をしない成功にも、もちろん価値があります。失敗をあまりしなかったのなら、あなたの優秀さの証明になります。続けるにしろやめるにしろ、すんなり成功したことは自信にしていいのです。

そして、成功した物事そのものに価値があることは言うまでもないですね。だからこそ成功したのですから。

まとめ:人にも物事にも全て価値がある

世の中にいる人、ある物事、全部が価値のある有意義なものだと私は思えるようになりました。そうして「自分に価値がない」と思ってむやみに落ち込むことが少なくなり、徐々にうつ病から抜け出していくことができました。

あなたにとって価値が感じられなくても、誰かにとっては価値があります。そういう意味では、真に無価値なものはこの世には存在しないのです。

あなたに価値があると言ってくれる人に、「いや、私は無価値だ」と言うことは相手の価値観を否定することです。

価値観の否定と尊重について、詳しくはこちらの記事も読んでいただけると嬉しいです。

自己肯定感について、自己肯定感を身につける他の方法についてはこちらをどうぞ。

書いた人:
白崎やよい

発達障害、特に自閉スペクトラム症(アスペルガー症候群)と診断されています。30代です。肉体の性別に違和感がありFtXなのではと思っています。道具やサービスを使って自分の生活を改善しながら、気になった情報を雑多に発信しています。著書「アスペルガーだからこそ私は私」発売中です。

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以前書いていたブログ「他者と私とアスペルガー症候群」の記事を抜粋し読みやすく書き改めたもので、6年近い自己分析の集大成です。
母から見た生育歴、母と私のすれ違いを解消した記録もあります。自閉スペクトラム症の子と定型発達の親のすれ違いが両方の視点から読める本です。

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