あなたの自己肯定感はどこから?私は「自分が行動を起こせたこと」から!

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二次障害(うつ病、不安障害)
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この記事は旧ブログ(削除済)の記事を元にリライトしたものです。

あなたの自己肯定感はどこから?

白崎
白崎

私は「自分が行動を起こせたこと」から!

(風邪薬のCMのパロディでした)

「私は何から自己肯定感を得ているのだろう」という疑問

先日、とある人とのメールのやりとりでふと疑問に思いました。

白崎
白崎

私は何から自己肯定感を得ているのだろう?

少なくとも「ブログを書くこと」からではないのは確実です。

旧ブログは書き始めて当時8年くらいになっていました。その間には好意的なコメントが多数ついて「ブログを書く」という行為が非常に充実していた時期がありました。

ですが、その頃の私は自己評価が低く、劣等感に苛まれ、何回も自殺未遂を繰り返すという有様でした。(うつ病だったという理由もありますが)

ですので、ブログがどんなに好意的に評価されても、評判がよくても、私の自己肯定感には一切結びつかないのです。それは今でも変わっていません。

じゃあ、何から自己肯定感を得ているのだろう……と最近の出来事をベースに少し考えてみたところ、以下のようになりました。

  • 作業所に行けたこと
  • 声楽のレッスンに行けたこと
  • 困ったことがあったときに、すぐ家族や支援者に助けを求められたこと
  • 先日のトークイベントで、参加者同士の繋がりができたこと

逆に、最近あった出来事で「嬉しかった」けど「自己肯定感に結びついていない」のは、

  • 4月2日にカフェに会いに来てくれた人が複数いたこと
  • 4月2日の当事者メッセージが好評だったこと
  • 4月5日のトークイベントで自分が話した内容が好評だったこと
  • ブログ記事の評判がいいこと

などです。こういうことは、嬉しかったり楽しかったりはするのですが、自己肯定感には全く結びついていないことに気付きました。

要するに、私の自己肯定感は他人の評価ベースではないのです。

他人の評価から自己肯定感は湧かない

私は他人から良い評価をされる機会は昔から結構たくさんあるのですが、それでもずっと自信に結びつかずにいました。それが今でも全く変わっていないのですね。

白崎
白崎

悪い評価を受けると自分を責めてしまうのにね。不思議だ。

もうひとつ重要なのは結果を問題にしていない点です。

「作業所やレッスンに行けたこと自体」「助けを求めるという行動ができたこと自体」で、すでに自分を好意的に評価できているのです。ここが個人的には非常に重要だと思う部分です。

もし、仮に「作業所で作業が順調だったから自分を評価できる」という場合は、「作業所に行ったけど作業は順調でなかった場合」は自分を評価できないわけです。レッスンも同じで、「レッスンで先生に褒められたから自分を評価できる」という場合は、先生に褒められなかったら自分を評価できないわけです。

が、私はそうではなく、単に「行けたこと自体」で自分を評価でき、作業内容がどうだったか、レッスンの内容はどうだったか、その辺りは関係ないのです。作業が順調だったり、レッスンでたくさんほめられたりすると「嬉しい」と思いますし、「充実感」には繋がりますが、「自己肯定感」には繋がらないのです。

カフェでのトークイベントで参加者同士の繋がりができたことの補足

「カフェでのトークイベントで参加者同士の繋がりができた」ことに私はものすごく達成感を感じていて、イベントをやってよかったと思い、こういうイベントを開催できたことに対して自分を褒めてやりたい気分です。

ですが、参加者同士の繋がりができたこと自体に対しては私は特に何もしていません。単に悩める人から質問があったから「専門家に相談するなどして慎重に対応したほうがよい」というような答えをしただけなのです。そこでたまたま参加していた専門家の方々が「どうぞうちに相談してください」と名刺を差し出していたのです。

なので、私ができたことを多少強引に探すとすれば、

  • カフェで開催するという趣旨に賛同して参加した
  • 専門家の興味も、悩める当事者や当事者の周辺人物の興味も引けるタイトルにできた

というくらいですかね。この点に関してはちょっと自信になりました。

内容の評判がよかったことからはあまり自信は得ていない……というか、私ばかりが評価されて私にばかりお声がかかるようになるより、もっと幅広く当事者の声を聞いてほしいなという気持ちがあるので微妙な気分です。

他人の評価はあてにしないほうがよい

何によって自己肯定感を得るかは人それぞれだと思いますが、最近話題の「承認欲求」が「満たされたときに自己肯定感を得ている」という場合は結構危険なのかなと思いました。

そういう人たちは承認欲求が満たされなかったら自己肯定感を得られないわけです。「自己肯定感を得るため(承認欲求を満たすため)になら危険なことや犯罪でもする」という風になってしまっている人たちの例もネット上の記事でたびたび見かけますね。

自己肯定感について考えるきっかけになったメールを送ってくださった人も「他人(の反応)から自己肯定感を得ようとすると、必ず予想に反した反応があるというリスクがついてまわる」と仰っていました。

他人の評価は常に不安定なものです。他人からの評価によって自己肯定感を得ているなら、他人から評価されなくなったときに自己肯定感を失っていく危険性があります。

追記:「行動しただけ」で自分を認められるようになるためには?

私はスモールステップの人生を心がけていました。小さなことを「自分のできたこと」と考えるやり方です。

  • 朝、目が覚めてカーテンを開けたら、「今日はカーテンを開けることができた」
  • 食事ができたら「今日も食事ができた」

このように、些細なことでも「できたこと」として認めるように心がけました。おそらくは、このおかげで「行動しただけでOK」と思えるようになったと思います。

スモールステップの人生を送るアイディアは以下の記事にありますので、よろしければこちらもご覧ください。

どうしても自分のことは認められないとき

自分の小さなことをそう簡単に認められない方は、他人の小さなことを認めるところから始めてみませんか? ちょっとしたことにお礼を言うだけでも、ずいぶんと変わってきます。

  • 家族がごはんを作ってくれたら「ありがとう」
  • 買い物をして店員が会計をして品物を渡してくれたら「ありがとう」
  • バスの運転手が目的地まで無事に乗せて行ってくれたら「ありがとう」

私はスモールステップの人生とともに、上のようにできるだけ「ありがとう」を積極的に言うようにしました。してもらって当然のようなことをしてもらっても、できるだけ「ありがとう」と言うようにしているのです。その結果、今では言わないほうが落ち着かないくらい習慣化しました。

そして、そういう些細なことに感謝ができるようになると、自分のやったほんの小さなことも認められるようになっていくのです。

私の場合は、欠点しかないような人間だった叔母に存在価値を見出したことから、「自分にも価値がある」と思えるようになっていきました。詳しくはこちらの記事に書いています。

まとめを4行で

  • 人にどんなに評価されても自信や自己肯定感には繋がらなかった
  • 結果を問わず「行動しただけ」で自分を認めるようになれて、人生が楽になった
  • 些細なことを認める暮らしを続けて、いつの間にか自己肯定感が身についていた
  • 自分を認められないときは、他人の些細な行動に感謝するところから始めよう

自分を肯定できる人生は心地よいものです。このような生き方に出会えてよかったと思っています。

二次障害(うつ病、不安障害)
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書いた人:
白崎矢宵(やよい)

発達障害、特に自閉スペクトラム症(アスペルガー症候群)と診断されています。性別不合(トランスジェンダー・FtM)でもあります。道具やサービスを使って自分の生活を改善しながら、気になった情報を雑多に発信しています。著書「アスペルガーだからこそ私は私」発売中です。

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