この記事は旧ブログ(削除済)からのリライト記事です。
以前、とても共感できる発達障害当事者ブログを読みました。一番感銘を受けたのはまとめの部分です。
僕は甘えを障害のせいにするつもりはありません。自堕落なことをしている場合もありますが、それはすべて自分の責任です。
障害のせいにするな、という言葉
しかし障害があるからこそ、どうにもならないときもあるんです。
それをわかってほしい。
この記事、とても共感できます。
「持病がある」とか「障害がある」とか他人に言うと(特にトラブル時にやむを得ずカミングアウトすると)、「免罪符にしようとしている」と思われることが多いです。
この人、病気や障害を免罪符にしようとしてる! 許されると思ってるの!? 許すわけないでしょ!!
と、特に躁の時期のトラブルでは散々言われました。辟易するほどに。
自分でもコントロールが利かなくて困っていたのに、更に人からそんな風に言われると、本当に死にたくなる。
トラブルがさほどない間柄でも、障害や病気のカミングアウトをすると、「免罪符にしたがっている」と受け取られるようです。「これから先、トラブルを起こしたときに免罪符にするために今言っているんだな」というような。
ですが、そういうつもりで言っていないことのほうが多いのです。
私が障害をカミングアウトする理由
私がカミングアウトするときは、たいてい「互いにより一層理解し合うため」です。就職活動の時期に、障害をオープンにして頑張っていたのも、互いに理解し合ってスムーズに仕事を進めたいがためでした。
何かトラブルがあって怒りや不快感を向けられたとき、私はまず「ごめんなさい」と言います。その上で、納得がいかない主張や、理解しきれない主張のことは、詳しく聞いて理解を試みます。
その際に自分が障害者だとか、病気があるからとか、そんな話はしません。それは本題ではありませんよね。
こういうときに「障害なんでぇ~」って言うと、免罪符にしたがっていると思われて面倒くさいんだよね。
障害を理由にせざるをえないときがある
しかしながら、残念なことに障害特性を理由にしなければ解決できないトラブルがときどきあります。
そういうときには仕方なくカミングアウトをしたり、渋々「これはそういう特性の部分があって……」と言うのですが、いつも「免罪符を用意した」と思われないか不安でたまらないです。実際に思われるケースも多々ありましたからね。
それでもどうしても「こういう問題を起こさなかったら『障害者』とは呼ばれていないだろう」と思うようなトラブルが起きてしまうことがあるので、そういうときには「こういう障害があって対応が非常に難しい」ということはわかってもらいたいと考えます。 ですがこれは障害特性を上手く飼い馴らせない自分の責任でもありますよね。
障害のせいでもあり、それをカバーできない自分のせいでもある。こういう考え方が大切だと最近思っています。
「障害のせいで失敗した」は、言い換えると「障害のおかげで成功した」にもなりえますね。本当にそうでしょうか。あなたの努力のおかげではないのでしょうか。「失敗したのは障害のせいではなく自分の責任」という発想は、裏返すと「自分が努力したから成功できた。偶然や運のおかげじゃない」という発想にも繋がります。
個人的にはそういう考え方のほうが好き。
失敗やトラブルが人を成長させる
私は自分のことを障害者だと堂々と言いますし、発達障害者であることは自分の大切な特徴だと思っています。
発達障害がなかったら、今の自分とは全く異なった個性を持った人間になっていたと思う。
これは「開き直り」ではありません。いえ、ある意味では開き直っているのですが、自分を改善する意思が無いのではありません。どんどん改善して、向上していきたいです。
そしてその改善と向上のためには、トラブルを欠かすことができないのです。トラブルがあれば、自分の特性と至らない点を改めて認識することができるのです。
失敗やトラブルは人を育てる力です。失敗はできればしたくないですし、トラブルもなるべく起こしたくないですが、生きていく以上、失敗もトラブルも完全には避けることができません。ですから、失敗などしたときには「あ、人生勉強のチャンスだ」と思うようにしていきたいなと思っています。
そして失敗やトラブルを起こしたときには、障害を免罪符にしようとせずに、障害ではなく自分の問題であると認識したいものですね。
「障害者だから」ではなく「その人だから」キライ
別の友人が言っていたことで、
その人に「障害があるから」じゃなくて、「その人がその人だから」キライなんだよね。
という言葉を聞いたことがあります。私はこれを聞いて感動してしまいました。何が感動できるかって、「障害」と「その人」が別個に考えられているのです。これは素晴らしい考え方です。
こういう区別の仕方ができない人もいるので、迷惑な人に病気や障害があると知ると
○○病(△△障害)の人はこれだからキライ!
という意見が飛び出してくることも多々あります。これは言い換えると、
これだから女はキライだ。
これだから年寄りはキライだ。
というような言い方と同じですね。その人そのものではなく、その人が持つ特徴を嫌っているということです。
もっとその人自身を見ようよ!!
「迷惑な人が一人いたら、同じ特徴の人はみんな迷惑」というような考え方を偏見と言います。
病気や障害を引き合いに出されたときも、それがその人自身にどのような影響を及ぼしているのかに注目したいですね。同じ病気・障害でも違う特徴を持っている人たちはたくさんいますので。
まとめ
- 障害のせい(おかげ)ではなく自分のせい(おかげ)
- 失敗・トラブルは成長のきっかけ
- その人自身をよく見よう