胸を潰して暮らしたいと思い始めた理由

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長年カミングアウトしていなかった性の違和感ですが、30歳を過ぎてからやっと人に言えるようになり始めました。

以前やっていたブログ「他者と私とアスペルガー症候群」では、性の違和感については触れたことがなかったと思います。リアル知人が読んでいたからという理由もありますが、当時の自分にとっては、どうしても人に言いづらいことだったのです。

リアル知人が見ている場所で初めて性の違和感について語ったのはnoteの「悩ましい性自認」という記事です。この記事では「自分の性自認は男性ではないかと思う」と語っていますし、男女どちらかで言えば、少なくとも心は男性なのではないかと思います。しかし、社会的に女性として生きていて女性扱いを受け入れて暮らしている人生なので、「自分は男だ」と断言もできず悩んでいるというのが現状です。

この記事では、性の違和感を元に、胸を潰して暮らしたいと思い始めた理由について話したいと思います。

胸には昔から嫌悪感がある

第二次性徴が始まった小学校高学年のころ、まずは月経が始まったことに強い嫌悪感がありました。それと同じぐらいイヤだったのが胸が膨らみ始めたこと。やむをえずブラ着用となったときのサイズはBカップでした。

私は自分に胸があることがとにかくイヤでたまらなかったので、できるだけ考えずに暮らしていました。仕方なくスポーツブラを着用していたのは、それ以外の方法を知らなかったからです。下着を着ないのも自分の腕に当たったりして気持ち悪いですからね。

今で言うブラトップのようなものも着ていましたが、当時のブラトップはおばさん向けで、中学生が着るものではありませんでした。タンクトップに近いので、抵抗感が少なく着られたのですが、体育の授業のときに更衣室で見られてからかわれてから着られなくなりました。

苦痛のサイズアップ

高校生ぐらいになって、スポーツブラの着心地が悪くなりました。なんだか胸のほうが余っているような感じがしたのです。

もしかしてブラのサイズが合わないのだろうか、と再測定したらBカップからDカップに増量していました。

それが発覚したときには、目の前が真っ暗になりました。人生が閉ざされたような気さえして、物凄く落ち込みました。何ヶ月も割り切れずに暮らしましたし、胸が縮んでほしいと切に思いました。

当時、Dカップのスポーツブラはほとんどなく、普通のブラジャーを着用しなければならなくなってしまい、それが苦痛でたまりませんでした。

性自認が女性の人は胸が大きくなると嬉しい?

私が通っていた高校は、因果なことに女子校でした。進学に有利だったことと、中学生のときに自分をいじめていた男子生徒と志望校が被っていたので逃れるために選択したのですが、異性に近い存在に囲まれている状態でした。それでもいじめられて不登校がちだった小学・中学時代に比べると遥かにマシでしたが……。

同窓生が女性ばかりだったので、女性同士のぶっちゃけ話が結構ある学校だったのですが、中には胸の大きさを誇る人がいました。胸が小さいことをコンプレックスに思っている人もいました。そういう人たちを見て「理解できない」とたびたび感じていました。

成人してから、女性の友人何人かに「胸が大きくなったとき、どう思ったのか」を聞いてみたことがあります。性自認が女性の人たちも、第二次性徴が始まったばかりころのことは「イヤだった」と語ることが多いのですが、高校生くらいになって再び胸の成長を感じたときには「嬉しかった」と言う人が多いです。「大きくなって凹んだ」という話は身近な人からは全然聞きません。

最近になって性の違和感をオープンにできるようになったので、とある女性の方に「胸をそぎ落としたい」という話をしたところ、その人も「どうして要らない人にはあって欲しい人には無いのかしら! 私はもっと大きくしたいわ!」と言っていました。

偶然胸を潰したときのこと

大学生になって成人式を迎え、憧れの振り袖を着ました。「成人式は絶対に着物!」と何故か思っていたのです。

そのときが大きな転機でした。

事前の写真撮影と、成人式当日の二日間に分かれて着物を着ました。事前の撮影時は着物用ブラを持っていなかったのですが、着付けで不便な思いをしたので、買うことにしました。

そうして着物用ブラで胸が平たくなったとき、たとえようもない解放感があったのです。

「本当の自分はこうなんだ!」「胸が平らなのが本当の自分なんだ!」平らな胸を見て本来の自分の姿を見つけた思いがしました。胸があるのがずっとイヤだったけれど、そのときまで潰すという発想が全くなかったのです。

そのころ(15年前)はトランスジェンダーの話題が現代ほど豊富でなく、「ニューハーフ」などMtFの方々が話題に上ることはあったのですが、FtMの方々の情報は少ない時代だったと記憶しています。

解放感と幸福感を求めて胸を潰す

胸がないのが本当の自分なんだと思えてから、胸を潰すことのほうが自然なのだと思うようになりました。乳房切除手術についても興味を抱くようになりました。

成人式の直後は、着物用ブラを普段着の下に着用して胸を潰そうとしました。しかし、着物にはよくても洋服には響くものだったので、服の下になにか変わったものを着ているのがわかってしまうのです。

そこで胸を潰す手段を求めてナベシャツやトラシャツと呼ばれるものを知りました。胸を平らにすることができ、かつ、外から見てわかるものでもない。人生の救世主でした。

それからいくつかナベシャツを試しながら胸を潰して暮らしています。今までの人生で使ってみた胸潰しアイテムについては別の記事で感想を書きました。

大学生の頃は服装も男装の傾向にありました。しかしながら最近は胸を潰しつつ女装です。その話はまた別の記事で書きたいと思います。

乳房切除手術について

乳房切除手術(胸オペ)はなんだかんだで受けていません。「手術が怖いこと」「費用が捻出できないこと」「地元で受けられないこと」などいろいろな理由があり、思い切れないのです。手術に踏み切れた人たちを見ると、少し羨ましくも思いますが、手術を受ける恐怖感も同時に襲ってきます。

一番の問題は地元で性同一性障害の診断が受けられないことです。「専門医の意見がないとダメだと言うなら性自認が不確かなのだ」という指摘をする人たちもいますが、私にとっては全くその通りで、「性自認は男性が近いとは思うけれど、社会的には今のまま女性でもいいような気がする」という認識を今はしています。

でも胸には存在してほしくない。こんな醜く膨れ上がったものがついているせいで自分は堂々とできないんだと思ってしまいます。堂々と自信を持って暮らしたいからこそ、胸が邪魔なのです。

まとめ:胸のもたらす影響は大きい

胸の有無でそこまで思い悩んだりすることが、性の違和感と無縁な人には想像がつかないのかもしれません。私にとっては重大な苦痛の元ですが、そこまでの悩みでない人のほうが世の中の多数派なんだと思います。

私にとっては胸がなくなることが理想で、存在していることは苦痛。でも、胸がないからつけたいという人もいることを考えると(MtFの人など)、世の中は上手くいかないものだと切実に思います。

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書いた人:
白崎矢宵(やよい)

発達障害、特に自閉スペクトラム症(アスペルガー症候群)と診断されています。性別不合(トランスジェンダー・FtM)でもあります。道具やサービスを使って自分の生活を改善しながら、気になった情報を雑多に発信しています。著書「アスペルガーだからこそ私は私」発売中です。

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