朝食メニューがほぼ固定だからこその自閉スペクトラム症当事者の苦痛 

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自閉スペクトラム症
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我が家の朝食メニューはほぼ固定です。朝弱い母が朝を楽にするための工夫の結果そうなりました。

が。母なりの工夫が私には苦痛をもたらし、そのたびに私は悲しくなるという、定型発達者と自閉スペクトラム症者のすれ違いの話を書きたいと思います。

我が家の朝食メニュー

我が家の朝食は以下の通りです。

  • トースト1枚(6枚切り)
  • レタス数枚
  • ハム2枚
  • チーズ2切れ
  • ドライプルーン3粒
  • ヨーグルト300g
  • インスタントポタージュ1杯※

※これは私の場合。父はホットミルク、母はコーヒー牛乳と各自飲みたいものを飲んでいます。

先日、このメニューに「私のレタスは約20g」という制限が加わりました。

レタスをめぐる問題

母・花代
母・花代

残ったレタスが傷まないように使い切りたい。

全員が均等な量にしたい。

食べやすいようにあまり小さいものは使いたくない。

母はそういう気遣いの元に毎朝レタスを千切って出してくれるのですが……。

白崎
白崎

レタスの量がいつもバラバラなのがすごくつらい。

多いときは更に山盛り。少ないときはほんのちょっとだけ。それがつらくてつらくてしょうがないのです。量の差が激しいほど苦痛も大きくなります。思えばこれは例外的な出来事だからかもしれません。

何ヶ月かおきに「いつも同じくらいの量にならないの?」と聞いていましたが、母の返答は毎回こうです。

母・花代
母・花代

レタスの大きさはいつも違うんだから仕方ないでしょう。

確かにそうです。私はそれがわからないほどバカではありません。ですが、

白崎
白崎

仕方ないのはわかっているけど、見るたび苦痛だしイライラする。レタスの量ごときでいちいち苦痛を感じたくないのに。

頭でわかっていても心は無関係にダメージを受けます。レタスの量などという些細なことでいちいちダメージを受けたくないのですが、量が変動するたびに苦痛を感じます。感じたくない、平気でありたいと思っていても、です。何ヶ月も、何年も続いても慣れないのです。

私は「自閉スペクトラム症は本能」だと思っています。理性や意思で制御できない部分があるのです。

そんなわけで私はとうとう耐えきれなくなり、レタスの量を毎朝同じぐらいにしてほしいと頼み込み、その基準の量が20gぐらいという結論になりました。

白崎
白崎

多少の差は自分でもわからんと思うから、だいたい20gぐらいであればいいと思っている。極端な変動がなければそれでいい。

スープをめぐる問題

そのもっと前、私が朝飲むスープが2種類のポタージュに決まる前にも、母の気遣いがかえって私の負担になっていたことがあります。

まだポタージュに決まっていなかったころは、フリーズドライのスープだったり、ポタージュだったり、いろいろな銘柄を母が3~4個入りで買ってきてくれていました。

母・花代
母・花代

食べ飽きるかと思って。

その頃は私も自分で「食べ飽きるかもしれない」と思っており、常時2~3種類の中から選ぶ暮らしを楽しんでいました。

が。だんだんに「お気に入り」ができてくると、「毎日これでもいい」と思い始めます。しかしながらそのお気に入りがなかなか店頭で見かけないものだったりして、「お店になかったから」と母は相変わらずいろいろなものを買ってきます。それを負担に感じ始めていました。

やがてポタージュを食べ始めるようになり、とても気に入ったポタージュができました。

白崎
白崎

毎日この2種類のどっちかでいい……。

そう思った私は、ちょうど大箱がある商品だったこともあり、母に「この2種類だけを買ってきて。たくさんいろいろなものを買わなくていいから」と頼みました。

母・花代
母・花代

飽きないの?

白崎
白崎

2種類あれば飽きないんじゃないかな?

飽きたらそのとき考えればいい、と思っていました。

それから約5ヶ月。飽きません。

白崎
白崎

「いつもの味」があるって素晴らしいなあ……!

先日はたまたまどちらも店頭になかったということで、以前私が好きだと言っていた「ほうれん草のポタージュ」と「トマトのポタージュ」を母が買ってきました。

好きだったしなと久しぶりに食べてみたのですが、いつもと違う味なので負担を感じ、なかなか食べられず、減りません……。どちらも美味しいんですけどね。

余談:具体的商品名

ちなみに私が気に入った2種類のポタージュはこちら。

よく見たらコーンのほうはコーンポタージュじゃなかった……。コーンポタージュはつぶつぶのコーンが入っているんですが、私はクルトンのほうが好きです。

あと母が買ってきてくれたポタージュ(減ってないけど美味しい)はこちら。

美味しいんですよ! 本当だよ! 美味しさより「いつもの味」であることのほうが優先度高いだけで。

自分の障害特性に悲しくなる

話を戻して、レタスやスープ。私はこれを「毎日ほぼ同一がいい」と思っているわけですが、これが自閉スペクトラム症の障害特性でなくて何でしょう。自分でも思うんですよ、「ああ、俺自閉症だな……」って。

それと同時に悲しくなります。なんだってレタスの量がいつもと違ったり、スープが毎朝違ったりする程度で苦しみを感じなきゃならないのか。

どちらも人に任せている以上、変動があるのは仕方がないことじゃないですか。頭ではわかっているんですよ。

頭ではわかっているけど、苦痛だしストレスだしイライラする。たまりつづければ耐えきれなくなる。

その現実が悲しい……。

白崎
白崎

レタスの量ごときでいちいち苦しくなる自分が情けない……。

私が思うに、これは「朝食のメニューがほぼ固定」だからこそ起きている問題だと思うのです。

なぜなら昼食や夕食は特にストレスを感じたことが無いのです。メニューが毎回全く違い、皿数も違うため、些細な違いが気にならないのでしょうか。それとも毎回負担だけど、負担があるのが当たり前だから気づかないのでしょうか?

白崎
白崎

負担があるのが当たり前だから負担に気づかない説は大いにありそう……。

いずれにせよ、「いつもだいたい同じもの」だからこそ小さな違いが際立つものです。いっそ毎回朝食のメニューががらっと違うほうが負担は少ないのかもしれません……。我が家でそれは難しいのですが。

まとめ

  • 「いつも同じ」だと負担が減り、「毎回違う」と負担が強まる
  • 例外的なことが起きると負担が大きい
  • 「いつもほぼ同じ」だからこそ小さな違いが負担になる
  • 些細なことに負担を感じる自分が悲しい

この歳になってから自分の自閉スペクトラム症度が案外高いことを思い知っています。見た目には全然わからないそうなんですけど。柔軟な対応ができているように見えるらしいです。内心ストレスがすさまじいんですけどね。

自閉スペクトラム症
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書いた人:
白崎矢宵(やよい)

発達障害、特に自閉スペクトラム症(アスペルガー症候群)と診断されています。性別不合(トランスジェンダー・FtM)でもあります。道具やサービスを使って自分の生活を改善しながら、気になった情報を雑多に発信しています。著書「アスペルガーだからこそ私は私」発売中です。

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以前書いていたブログ「他者と私とアスペルガー症候群」の記事を抜粋し読みやすく書き改めたもので、6年近い自己分析の集大成です。
母から見た生育歴、母と私のすれ違いを解消した記録もあります。自閉スペクトラム症の子と定型発達の親のすれ違いが両方の視点から読める本です。

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