「発達障害の診断を受ける」ということ(周囲の人編)

自閉スペクトラム症関連
この記事は約6分で読めます。

この記事は旧ブログ(削除済)からのリライト記事です。

発達障害らしき人の周辺人物からよく聞く悩みがあります。

ひきこもっている自分の子ども(成人)に、発達障害の診断をつけさせて、支援を受けさせたい。

身近な人(従業員など)に、発達障害の診断を受けさせたい。

こういう話、私はとても違和感があります。

診断を受けるかどうかは、本人の選択

診断を受けるか、受けないかは、本人の選択です。本人が必要を感じないなら診断は要りませんし、診断したところで活用できません。

それに本人が診断を受けることを望んでいなければ、診察や検査に協力的になれませんので、正確な検査結果が出ない可能性があり、最悪、誤診に繋がってしまいます。

まだ幼くて、親の言うことをうんうん聞く子供さんなら、お医者さんとも協力的な態度で検査を受け、正しい診断に結びつくというケースが多いのかと思います。

ですが、中学生くらいにもなれば、「障害者」という概念についての考えが固定されてきます。「障害者になりたくないから診断を受けたくない」という人もいらっしゃいます。

ひきこもりの方、障害の自覚の無い方を病院に引っ張っていっても、診断を受けさせるのは難しいでしょう。前述の通り、診察や検査に協力的にならないことが想像されるからです。

本人に診断を受けるメリットはありますか?

診断を受けるのは、本人に自覚があって、本人に診断名を活用する意志ができてからでいいのではないでしょうか。

本人にその気がないのに、周囲の人間の自己満足で診断名をつけて、本人になんのメリットがあるのでしょうか。

本人は診断名を活用(福祉制度の利用など)することができるのでしょうか?

本人の生活の質(QoL)は下がりませんか?

望まない診断を無理につけさせたせいで、精神状態が悪化するなどしたら、誰が責任をとるのですか?

診断を受けろと勧める人たちは、本人が診断結果を知って受けたショックや受け入れがたい気持ちなどもサポートするつもりなのですか?

白崎
白崎

そんなこと、できるわけないよね。

診断を受けさせたいと思う時点で、本人の気持ちは完全に無視しているもの。

周囲の人の自己満足ではないか

福祉制度を利用したいわけでもなく、普段の生活で困っていることも特にない、そういう方には診断は不要です。他人がとやかく言う問題ではないです。

周囲の人
周囲の人

この人は発達障害の疑いが濃い。診断をつけたほうが関わりやすいのに……。

周囲の人たちがそう思っても、それは周囲の人たちの自己満足に過ぎません。

ましてや「本人に診断をつけさせて『周囲の人間が』福祉制度を利用させたい」なんていうのは、人権侵害にも相当することだと私は思っています。

福祉制度を利用するかしないか、それも診断を受けた本人の判断することです。手帳が欲しければ取得申請すればいいし、いらなければしなければいいのです。

もちろん、本人が診断を受けたいと思っているのなら、周囲の人たちは積極的に協力してあげるべきでしょう。

たとえ自分の子供でも、自分の会社の従業員でも、相手は一人の人間です。周囲の人たちの都合だけでなく、本人の選択を第一に考えてほしいです。

診断は魔法じゃない

「周囲の人に自閉症スペクトラムの診断をつけたい」という方々は、診断を魔法のように考えているのではないでしょうか。

身近な他人に診断をつけたいと考えている人たちは、「診断がつけば、本人は変わる」と思い込んでいるように見受けられます。ですが、それは大いなる誤りで、実際は

  1. 診断がついて
  2. 本人がそれを前向きに受け入れ
  3. 変わりたいという気持ちを抱き
  4. 変わる努力をすれば
  5. 変わる

という風に、様々な段階とハードルがあります。

診断がついた本人は、「治らない障害を抱えている」という事実にショックを受けてうつ病になってしまったり、人生を悲観して自殺をしてしまったり……そういう道に進んでしまう事態も充分に考えられることです。

全ての人が障害をすんなりと受け入れることができるわけではありませんし、「自分は障害者ではない! これは誤診だ!」と病院や医者への不信感を抱いてしまう人もいます。

診断がついたときに、本人がどのような反応をし、どのように考えて、どのように変わっていくのかは、誰にもわからないことです。ですが、「周りの人に診断をつけさせたい」と考える人たちは、皆「診断がつけば、全ていいほうに変わる」と思い込んでいるように見えます。

いい方向に変わる例もあるでしょう。ですが、100%そうなるとは誰にも断言できませんし、診断がついてすぐに前向きに変わっていこうとできる人も少数派だと思います。

障害を丸ごと受け入れて「これがありのままの自分だ」と思える人も、そんなにたくさんいるわけではありません。今、それなりに障害を受け入れている人たちでも、
「この障害がなければ……」
「障害のない自分が本来の姿なのでは」
「あれは誤診だったのではないか」
「自分は自閉症スペクトラムではないのではないか」
などと何年も考え続けたという例を当事者ブログなどでよく見かけます。

叔母の実例

私の親戚にも、発達障害疑いの人がいます。母の妹なのですが、「自分は絶対に違う」と言い張っています。

その他の理由でも精神科にかかっているため、福祉制度を利用させたく障害者手帳の申請をさせたのですが、精神状態がよくないときには「こんなものを持たされて恥ずかしいから手帳を返す」とか、「生き恥をさらした」と母に苦情を言ってきます。

そのように「障害」というものに偏見が強い人に、治ることのない障害を抱えているという診断を下した場合、精神状態が著しく悪化する可能性は高いです。

叔母はもともと医師不信の傾向がある人なのですが、発達障害の診断を受けたらもっと医師を信頼しなくなり、病院に行かなくなって薬を飲まなくなり、どんどん精神状態を悪化させていくという可能性あります。そういう可能性を、私や母には非常に強いリアリティを伴って想像できます。

「診断をつけていないから、周囲の人に迷惑をかけるのだ。だから診断をつけさせたい」と言う人もいます。ですが、母の妹は診断をつけたらもっと周囲の人に迷惑をかけるであろうことが想像できるので、今のところは母が母の妹の主治医と話し合って、診断をつけない方針でいます。予想と違ってすんなり受け入れてくれるかもしれないのですが、その可能性にすがるにはちょっとリスクが高すぎると考えています。

身近にこのような例があるため、私(と母)は、余計に「周囲の人に診断をつけさせたい」という考え方に反発心を抱きます。全ての人が障害(それも先天性の、現代医学では治らないとされている障害)の診断がついて受け入れられるとは限りません。受け入れられず何年も悩んだという例も、少し当事者ブログを探せば簡単にいくつも出てきます。

まとめ:診断を受けるかどうかは、本人の選択

結局はやはり、診断を受けるかどうかは、本人の選択なのです。本人が「診断を受けたい、受けて福祉制度を利用したり、もっといい自分に変わりたい」という風な気持ちを抱いてからでないと、診断を受けても上手くいく可能性は高いとは言えないと思います。

「周囲の人に診断を受けさせたい」とお考えの方々は、その人が診断を受けてどう感じるのか、どんなショックを受けるのか、どんな悩みを抱えるのか、そういったこともしっかりと考えてほしいです。

もしそのようなことを一切考えずに強引に病院に連行して診断を受けさせようなどとしても、本人が検査や診察に協力的になる可能性は低いと思いますし、人権侵害にも相当すると思います。

おせっかいな周囲の人たちには、本人が「診断を受けたい」と言うときまで待っていてほしいものです。

書いた人:
白崎やよい

発達障害、特に自閉スペクトラム症(アスペルガー症候群)と診断されています。30代です。肉体の性別に違和感がありFtXなのではと思っています。道具やサービスを使って自分の生活を改善しながら、気になった情報を雑多に発信しています。著書「アスペルガーだからこそ私は私」発売中です。

白崎やよいをフォローする
著書「アスペルガーだからこそ私は私」発売中です!

母との共著の本「アスペルガーだからこそ私は私―発達障害の娘と定型発達の母の気づきの日々」生活書院様より発売中です。
以前書いていたブログ「他者と私とアスペルガー症候群」の記事を抜粋し読みやすく書き改めたもので、6年近い自己分析の集大成です。
母から見た生育歴、母と私のすれ違いを解消した記録もあります。自閉スペクトラム症の子と定型発達の親のすれ違いが両方の視点から読める本です。

自閉スペクトラム症関連
白崎やよいをフォローする
私は私にしかなれない
タイトルとURLをコピーしました