レディース服は着たいがメイクはしたくない。「女装趣味」ではない?

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「女装をする」と言うと、「メイクもばっちりキメる」というイメージが強い気がします。

ですが私は着たい服はレディース服ですが、メイクはする気がありません。していた時期はあるんですが、どうも続けられないのです。

これは私の中では非常に一貫していることです。

というのも、私は「女には見られたくない」のです。

レディース服が着たいのは多様な形が好きだから

メンズ服のシルエットは丈と襟の有無ぐらいしか違いません。

それに対し、レディース服のなんと華やかなこと! 丈も形状も様々なシルエットに溢れています。

レディースの魅力はシルエット。色や柄もメンズ服より多彩な気はしますが、私がもっとも魅力を感じるのは多様なシルエットです。

「女」に見られたくはない

ところが私はレディース服は着たいですが、性自認は男性ですし、女性化願望もありません

因果なことに肉体は女性なので、女性の服を着ると、外見上は疑いの余地なく女性です。それが苦痛でレディース服を楽しむことができなくなりました。

「女装している男性」でありたい。それが私の希望でしたが、より正確に表現するなら「レディース服を着る男性」なのでしょうか。

「女装をする」には「メイクをする」が含まれるように思いますが、私はメイクをする気がありません。自分を女性に見せたくはないからです。

「メイクは女性のすること」という思い込み

古典的発想だとは思いますが、私は「メイクは女性のすること」と思い込んでいます。

そして自分は女性でないし、メイクの楽しみも今ひとつ理解できません。なので、したくないのです。メイクをしてみたことはありますが、日常になるほど続けられません。

「特別な日だけメイクする」と思うとなおさらイヤです。特別な日ならば正装でしょう。私は「正装はパンツスーツにネクタイ」だと思っているので、メイクは正装からかけ離れているのです。

「女装趣味」ではないのかもしれない

こうして自分を考えてみると、私がレディース服を着たいのは「女性的な外見になりたいから」ではなく「その形が好きだから」。

であれば、「女装」ではないのかもしれません。

白崎
白崎

レディース服を着るけれど、女装ではない。男性として着る。

これはまた随分としっくりくる表現を見つけました。

そしてノンホルノンオペの身ではそれが実現困難だとも感じます。

体が女性で、声も女性で、服装も女性の人間を、自分以外の誰が男性と認めてくれるのでしょうか。

男性ホルモンを打って男性らしさを得たところで、女性の服を着続ければ、きっとこう言われることでしょう。

男性ホルモンを打ったのは間違いだったんじゃないの?

女のままでいたかったんじゃないの?

本当に性自認は男性なの?

その体で合ってたんじゃないの?

自分の体に揺るがない『男』があればレディース服をまた着られるんじゃないかと思っていましたが、そんな日が本当に来るのでしょうか。

それでも『全身女』でレディース服を着るよりは、まだ一部でも男性化したほうが『本当の自分』に近いと感じますし、現在はその方向性の「治療」を求めています。

まとめ

  • 女装をしたいのはレディース服を着たいから
  • 女にはなりたくないからメイクはしたくない
  • 「女装」ではなく「レディース服を着るだけ」
  • 男性化できたとしても、理解をしてもらえない気がする
白崎
白崎

自分に正直になろうとすると、自分はとても変なモノだ。

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書いた人:
白崎矢宵(やよい)

発達障害、特に自閉スペクトラム症(アスペルガー症候群)と診断されています。性別不合(トランスジェンダー・FtM)でもあります。道具やサービスを使って自分の生活を改善しながら、気になった情報を雑多に発信しています。著書「アスペルガーだからこそ私は私」発売中です。

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